
…あの声に似てる。
そう思った。
古い校舎。
窓からは斜めに光が差し込んでいる。
床の板がワックスの艶で、その光を鈍く反射している。
深い茶色が、少しだけあたたかい。
ギシギシと音を立てて、木の階段を上る。
左手はずっと壁に触れていた。
少し、ざらざらしている。
誰もいない静かな階段。
踊り場には、クレヨンで描かれた子供たちの絵。
歪な笑顔。赤い太陽。ひまわり。
描いた本人は覚えているのか、覚えていないのか。
いつの間にか、そこに溶け込んだ風景。
どこかに、知らない世界の入り口がある。
そう思っていた。
左手がぬるっと壁から向こう側へいく気がして、
壁から手が離せなかった。
キンコンカンコーン。
チャイムが鳴った気がした。
でも、誰もいない。
もう僕は、知らない世界にいるのか。
それとも、いないのか。
——あのとき、僕は何を見ていたんだろう。
もしかしたら、何も見ていなかったのかもしれない。
ただ、そこにいただけ。
本当にいたのかどうかも、よくわからない。
「おはよ!」
同じクラスのミナが声をかけてきた。
シャボン玉みたいに陽に照らされた笑顔。
ずっと聞いていたい声だった。
りんご飴が甘くて酸っぱくて。
……最後に少し甘い。
そんな声。
「おう……」
それが精一杯だった。
どう話をしていいのかもわからず、顔も見られなかった。
顔が赤くなる。
なんなんだよ、これ。
そのまま、水飲み場へ走った。
「先輩? 先輩?」
「おう……」
「“おう”じゃないですよ。今日のプレゼン、頑張ったんですからね、私」
「先輩がちゃんとしてくれないと、困ります!」
困ります——また言わせてしまった。
僕は、それにも気づかないふりをした。
いくつになっても、僕は——
何を話せばいいのか、わからなくなるらしい。
目の前にいるのは、一回りも年下の後輩。
僕も、ずいぶんおっさんになった。
「ほら、またぼーっとしてる」
彼女が小さく笑った。
……あのときと同じだ。
僕は、ちょっと、ここに居づらい。
水飲み場へ行きたい気分だ。
資料をまとめて、気持ちと一緒に、カバンへ押し込んだ。
「ほら、行くぞ」
「あ、また。ちょと、待ってくださいよぉ〜」
「またねーよ!」
振り返れなかった。
でも、口元だけが、少し緩んでいた。
シャボン玉が飛んでいる気がした。
——こいつの、落ち込んだ顔は見たくない。
今日は、おっさん、頑張るか。
気合を入れて拳をブンブン振り回した。
「何ですか、その動き」
りんご飴みたいな笑い声が後ろから聞こえる。
背中が少し温かかった。
……もし、思い出した何かがあったなら
それが、あなたの読み方です。
物語は、どう読んでも、いい。
この人、可愛い
しっかりしてよ!
後輩の女性の気持ちわかる!
なんか、寄り添いたくなる
なんとなくお父さんに似てて嫌い…
はい、全部、正解です。
それがいいんです。
── 雨野いと

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