
テーブルの上には企画書。
夏祭り企画――地元の女性経営者と語る、夏祭りとこれからの街。
それを見たとき、もっと重い気持ちになるかと思った。
夕べは、思ったよりも眠れた。
取材や企画に関わると、だいたい本番の前の日は眠れなくて、食べても味もしなくて。
ここにいるのかいないのか、分からないような感じだったのに。
緊張はしている。
でも、緩やかだ。
手も震えていないし、吐き気もしない。
深く吸い込んだ空気が、肺の奥まで届いていく。
前は、緊張していた時なんて深呼吸できなかった。
息を止めて、少しだけ吸って、
何も感じないように。
何も感じないように。
自分の感覚を、消して、消して、消して。
無表情になった辺りで、ようやく取材に臨んでいた。
「楽だなぁ」
わざと声に出した。
自分で確認したかったのかもしれない。
その声が、ここにいることを感じさせてくれる。
なんか、変な感じ。
うまく言えないけど、変な感じだった。
語る会は夕方の6時から。
それなりの緊張で、ほぼ一日を過ごした。
いよいよ本番前の準備の時間。
会場のテントでは、後輩くんと元の同僚たちが準備をしている。
そこへ顔を出した。
「おはようございます」
軽くあいさつする。
大丈夫、声も出る。
「調子どうですか?」
後輩くんが声をかけてきた。
「まぁまぁかな」
今までなら、話しかけないでくれ……って思ってただろうな、なんて考えていた。
手渡された缶コーヒーを一口飲む。
取材前にコーヒーなんて、飲んだことなかったかも。
ここの空気を感じていても、大丈夫みたいだ。
人の中にいても、プレッシャーでおかしくならない。
いつもの自分でいられる。
前なら、トイレ3回は行ってただろう。
今は、逃げ出したい気持ちも、吐き気もない。
緊張は、やっぱりある。
顔を二度、にーっとして作り笑いしてみた。
手をグーパーして、体の感触を確かめる。
手の甲に、フーッと息をかけてみる。
皮膚にも、いつも通りの感覚がしっかりある。
開始時間が近づくと、ぽつぽつと参加者たちが集まってきた。
知ってる顔も、ちらほらある。
僕もこの街の人なんだなぁ、と思った。
――え?
あの肉屋って、経営者は旦那さんじゃなかったの?
この街も長いけど、知らないこともあるらしい。
一通り集合したかな。
その中には、麻衣さんもいた。
軽く、目で挨拶する。
うん? みたいな顔をしてた。
迷惑だったかな?
でも、麻衣さんも応えてくれた。
少し眉が上がっていて、
その後に、口元が緩んだ気がした。
見間違いかもしれないけど。
皆さんの話を聞く。
昔の夏祭りのこと、街の人が作り上げてきた思い出。
「街の人のための祭りだから、花火は上げない」という話。
そっか。
地元の人が楽しめることが大切で、
人を呼ばなくても成り立つものを、作ってたんだ。
物足りなさが、ちょうどいい感じ。
その視点で、書いてみようかな。
そんなことを思った。
話を聞きながら、ノートを見なくても聞きたいことが口から出ていた。
自然と、笑いが起きる。
皆さんと、笑いあえた気がする。
……気がするだけかもしれない。
僕が、皆さんを見ることができているんだ。
皆さんは、きっと前から、笑っている人たちだったのだろう。
「あなた、あの方の息子さんよね?」
昔からある不動産屋のオーナーが、話を振ってきた。
父の顔が浮かぶ。
少しだけ、ざわっとした。
でも、その感覚はすぐに消えた。
「あの……父が何か、失礼なことを?」
「いいえ、失礼はなかったわよ。泣かされたけど」
オーナーは、笑っていた。
僕は立ち上がって、頭を下げた。
辺りが、静かになった。
「まぁまぁ、あなたはそんなことしなくていいんですよ」
誰だったかな?
この声は、多分、母がお茶会のときにお菓子を届けてくれていた人。
ああ……
忘れていたこと、いろいろ思い出してくる。
本当は全部、覚えていたのかも。
でも、忘れたかったんだ。
無事に、語る会は終わった。
みなさんと挨拶しあったり、握手したり。
人の手が温かいと思ったのは、いつぶりだろう。
テントを出ると、ざわざわとした人の流れができていた。
「あーー」
背伸びをした。
体を伸ばすと、じんとした感覚がほどけていく。
……まぁ、緊張はするよな。
でも、その感覚がいやじゃなかった。
背後から、声がした。
「お疲れ様でした」
麻衣さんがいた。
少し、目が合わせにくい。
「ありがとうございました!」
顔を上げると、麻衣さんの向こうに後輩くんが見えた。
目が合った。
後輩くんは、あごを小さく上げた。二回。
ゆっくり、息を吸い込んだ。
「少し、眺めてみませんか。この祭り」
麻衣さんが、笑った。

コメント