
昼前。
部屋の空気は、ぬるかった。
やる気のない扇風機が、カタカタと音を立てて回っている。
風も、光も、閉じ込めたままの部屋。
キーボードには、なぜか触れなかった。
何も打たずに、時間だけが過ぎていく。
昨日は、あれだけ書けたのに。
アイスを食べてみたり、似たようなことをしても、なんか違う感じだった。
窓を開ければいいだけの話だった。
けれど、どうしても手が伸びなかった。
なんとなく──
そう、なんとなく。
理由なんて、あとからついてくる。
そのとき、重たい音と一緒にドアが開いた。
「せんぱーい、おはようございます!」
「くさっ。先輩、この部屋、臭いです」
いきなりそれかよ。
「知ってる」
あきれたように笑って、後輩くんはドアを開けたまま窓に向かった。
ガタ、ガタ、またガタ。
なかなか開かない。
最後に、「せーのっ」と力をこめて——
スパーン!
風が、一気に流れ込んだ。
ブラインドがバタバタと暴れて、シャラシャラと風が走っていく。
紙がバサバサと舞って、机の上からひらひらと落ちていく。
「おお……」
思わず声が出た。
暑いはずなのに、なんだか、気持ちいい。
袖口から流れ込む空気が、体温を確かに奪っていく。
「心の窓が開いたってやつですかね」
後輩くん、それはベタすぎ。
「漫画かよ」
二人でやれやれ、みたいな顔をして、少し笑った。
そのあと、黙ったまま風にあたっていた。
熱いアスファルトの匂いが混ざった風。
でも──
気がつけば、肩の力が抜けていた。
「そういえば昨日、電話した」
「電話?」
「早川さんに」
「へー!」
「企画の挨拶。仕事のうちだ」
「仕事のうちですよねぇ」
にやにやしながら、後輩くんはタワシを手に取った。
なぜかそのまま、窓のレールをこすり始める。
ゴシゴシ、ゴシゴシ。
袖をまくった腕に、汗がたまる。
洗剤が跳ねて、「いてっ」と声が上がる。
「せんぱーい」
「なんだー」
「なんで僕、掃除してるんですかね?」
「なんでだろなー」
いつもどおりの会話。
でも、その「いつも」に、風が混じっていた。
空のペットボトルに水を入れる。
ぬるい水が、手の中に広がる。
全然気持ちよくない。
でも、しばらくしたら──
少しだけ、冷たい水になった。
「流すぞー」
さっと避ける後輩くんの動きが軽い。
その動きのキレが、引っかかった。
足だけ、ささっと動かした。
僕には、そのキレがなかった。
ペットボトルの水が、重く感じられた。
息を止めて、レールに水を流し込む。
小さな土の粒が、ゆらゆらと水に乗って、レールを伝って落ちていく。
後輩くんからタワシを受け取って、レールの端をこする。
汚れた水が、少し跳ねた。
そんなことは気にしない。
力を込めて。
でも、丁寧に。
全部を流すのに、水道を三往復した。
冷蔵庫を開ける。
缶コーヒーの買い置きはなかった。
「ちょっと缶コーヒー買ってくるわ」
「じゃあ、一緒に行きましょうよ」
二人で、暑い中を歩く。
コンビニの手前に、駄菓子屋に氷の暖簾がかかっていた。
「ここ、まだやってたのか」
「氷でも食ってくか」
「いいですね、氷!」
駄菓子屋のおばちゃん──
いや、もうおばあちゃんと呼んだほうがしっくりくる。
四角い氷をセットして、ボタンを押す。
モーターがうなりだしたあと、シャーッという音。
削られた氷が、白いカップにどんどん入っていく。
それを二度、三度と手で整えて、潰して、また重ねていく。
──ああ、なんかいい。
その場面だけがセピア色に見えた気がした。
僕はレモン。
後輩くんはブルーハワイ。
見てるだけで冷たくなる。
キラキラした小さな氷の破片が混ざっている。
崩さないように、スプーンを差し込む。
口へ運ぶ。
想像よりも冷たい温度が、口の中に広がる。
──あー、うまい。
思わず、声が出た。
後輩くんは一気に食べすぎて、頭を押さえている。
キーンとくるやつだ。
それを見て、少し笑ってしまった。
なんにでも勢いがあって、キレがある。
いいね、後輩くん。
僕は僕なりに、ゆっくり食べよう。
そんな食べ方も、ありだよ。
風が吹いた。
熱い風だった。
──この風を、覚えておこうと思った。

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