【徹編】第十話 ラブリーが流れた夜

《ラブリーが流れた夜
― ひとりの部屋に、記憶が戻ってくる》


今朝は、少し早く目が覚めた。
再取材の予定があるからだろうか。
まあ、多分、緊張してるんだろう。僕はそんなに強くもないし。

肩書きのある自分として、慣れていたはずの取材。
でも今は“フリーライター”という、どこか頼りない肩書きで向かう。

前回、麻衣さんに二度もフォローさせてしまったことが頭をよぎる。
仕事だ。
しっかりしなくちゃ。

事務所に着いて、ゆっくりとドアを開ける。

「いらっしゃいませ、こんにちは!」

パッと出てきたスタッフの女の子が、あまりにも明るくて、
思わず、こっちの声が裏返った。

「あ、あぁ…お邪魔します」
……なんだこの挨拶は。

明るさに圧倒されて、ペースが掴めないまま部屋に通される。
出されたお茶に口をつけて、少しだけ落ち着いたところで、
麻衣さんが姿を現した。

……やっぱり、別世界の人だなと思った。

落ち着いた色のスーツ。
すっきりとまとめられた髪。
まっすぐな姿勢と、静かな歩き方。

“ちゃんとした人”という言葉が、
そのまま形になって目の前に立っているようだった。

「あ、あの、先日はありがとうございました」

ぎこちない挨拶をして、取材追加分の趣旨を説明する。
なぜか声がうわずりそうになって、必死に抑える。

麻衣さんは、終始にこやかだった。
説明をさえぎることもなく、
ひとつひとつうなずきながら聞いてくれる。

……本当に、仕事ができる人なんだな。
こちらが話しやすくなるように配慮してくれているのが伝わってくる。
そういう人は、なかなかいない。

でも、なんだろう……

一通り話が終わった頃、スタッフの子が入ってきて、お茶を替えてくれた。

「社長のこと、どう思います? かっこいいですよね。できる女って感じで、私の憧れなんです!」

明るいなあ、この子。
麻衣さん、好かれてるんだなって、自然にそう思った。

……でも、一瞬、どこかで引っかかった。
なんだろう、この感じ……

違和感?
というほどじゃない。

ほんの一瞬、なにかがノイズのように混ざった。
……さみしさの匂い。
いや、違う。
僕が寂しいから、そう見えただけかもしれない。

「あぁ、ほんと素敵な方ですよね。キラキラしてて……僕とは別世界の人かな、あはは」

思ってもない冗談を口にした自分に、少し驚いた。
こういう時、軽く返せるようになったのは、歳のせいか……それとも、疲れか。

この事務所、やっぱり僕にはまぶしすぎる。
居心地が悪いというわけじゃないけど、
場違いな感じは、やっぱりある。

でも……

笑っていた。
綺麗だった。

なのに、僕の目には、どこか“寂しさ”が残って見えた。

たまたまそう見えただけかもしれない。

でも、前回の取材でも、
最後に視線が交わりそうになった一瞬……
やっぱり、同じような空気を感じた気がする。

そのあと、3人で少しだけ雑談をした。
でも、正直、よく覚えていない。

気の利いたことも言えなかったし、
話をうまく広げることもできなかった。
もちろん、話はしっかり聞いた。
僕にできるのは聞くこと。それだけ……

事務所を出ると、外の空気がひどく静かに感じた。
通りを歩いているのに、街の音がうまく耳に入ってこない。

寂しそう……

その言葉だけが、ずっと心のどこかに引っかかっていた。

あの人は、しっかりしていて、強そうで、
人からも信頼されていて。

何も問題なさそうに見えるのに、
なぜか、その「強さの奥」が、妙に気になってしまう。

「さて、帰るかぁ」
誰に言ったわけでもないその一言が、湿った道に落ちた気がした。

思いっきり背伸びをした。
いててて……緊張してたんだなぁ。


※このエピソードは、徹と麻衣、それぞれの「再取材の日」の夜を描いています。
ふたりが別々の場所で過ごした、あるひとつの“夜”の記録です。

麻衣|再取材の夜

楽しかった取材。
今日も上手くできたはず。

今日はね、椅子は90度にしなかったの。
いい印象とか、90度とか、そういうことじゃない気がした。

人として、向き合ってみたかったのかな。
そして、私を知ってほしかったのかも。

知ってほしかったのは――
自立していて、そんなにすごくはないけど、ちゃんと仕事はできている、
……そんな私。

……なのかな。
分からなくなってきた。

ねぇ、私って――
仕事とか、自立とか、それ取ったら、何が残るんだろう?

相棒の猫のぬいぐるみを、目の高さまで持ち上げる。
聞いても、何も答えてはくれない。
そうよね。ふわふわしてても、ぬいぐるみだもの。

……でも、今日は少し、温かい気がした。

「わかってるくせに」
そんな声が聞こえた気がした。

中原さん、今日も話、聞いてくれてたなぁ。
予習してきてくれたのかな?
話も、ちゃんとまとめてくれた。
嬉しかった。

仕事、できる人なのかもしれない。

「頼りなさそう」なんて思って、ごめんなさい。
本人には、言えないけどね(笑)

スタッフの子も、ほんと助かるの。いい子なのよ?
でもね、たまに、明るさが弾けるの。
そして……あれよ。

猫ちゃん、中原さんね、私のこと「別世界」なんだって。

ぬいぐるみを抱きしめる。

別世界、かぁ。
でも今日は、一緒に少し笑ったじゃない。

立ち上がって、冷蔵庫へ。
飲み物をとって、扉を「パタッ」と閉める。

薄明かりの中、その音だけが、やけに響いた。


徹|再取材の夜

まだ夜は、気温が下がると、肌寒い。

ひとり飯が寂しいとか、寂しくないとか、
そんな感覚も、もう忘れた。

この歳になると、
「今日も無事に食べられた」ってことに、ありがたみすら覚える。

軽くレンジで温めた焼き鳥。
ひとりで食べるには、ちょっと多いか。

手を合わせて、いただきます。

今日の焼き鳥は、美味い。
美味いけど、なんか、味気ない。

昼間のことを思い出してしまう。
……いや、思い出すんじゃないな。ずっと考えてる。

寂しそうだった。

キラキラしていて、でも、寂しく感じる。
キラキラ……寂しさ……キラキラ……寂しさ。

今は時期じゃないけど、クリスマスのイルミネーション。
ある時から、青や白になったよな。
青色LEDが発明されたから、とかで。

冷たい空気の中、キラキラしてて、寂しくて。
……そんな冬を、思い出していた。

気がついたら、焼き鳥もすっかり冷めていた。
静かな部屋も、今日は少し、居心地が悪い。

ラジオでもつけようか。

目覚ましアラーム付きの、なんかかっこよくて買ったやつ。
銀色で、デジタルの赤い文字。

もうアラームは壊れてるけど、捨てられない。
スピーカーもひとつだけの、しょぼい音。

なんとなく、ザワザワした落ち着かない気持ちを紛らわせるように、
机の上を片付ける。

ふと、聞こえてきたのは――
小沢健二の『ラブリー』。

なっつかしいなぁ。

手を止める。

30位だったかな? 流行ったの。
もう少し前か? 後だったか?
渋谷系ってあったなぁ。

僕はその波に飲まれる、ちょっと上の世代になるのかな。
なんか都会っぽくて、オシャレで。
でも、僕はその空気に乗れなかった一人。

なれない営業、居場所がなくて、恋人も去っていった。

恋人が、ピチカート・ファイヴ好きだったのは、覚えてる。
元気かなぁ。

僕はあの時代に、何を置き忘れてきたんだろう。
……なんだろなぁ、今日は頭の中がぐちゃぐちゃする。

いつもなら寝てしまうんだけど、今日はそんな気分にもなれない。

ずっと、意味のない考え事をしているうちに――
僕は、いつの間にか、眠っていたみたいだ。

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