
《会いたくないわけじゃない。
ただ、今の自分を説明する言葉が見つからなかったんだ》
夕方、たまたま用事があって、
かつて勤めていた会社のそばまで来た。
オフィス街の外れにある、少し古びたビル。
先日も取材の打ち合わせで来たばかり。
自分が通っていた場所。
通い慣れていた道。
今日は、肌に当たる風がちょっと寒い。
何気なく見ていたはずの景色が、
今は妙に鮮やかに目に映る。
すれ違った女性のヒールの音が、カツカツと響いていて、
これが社会の音なんだなと、不思議なことを思っていた。
ぼんやりビルの前を見ていたそのとき、
ドアが開いて、三人の社員らしき人たちが出てきた。
あ…知ってる顔。
きっともう、帰りなんだろう。
ネクタイを緩めて笑い合いながら、駅の方へ歩いていく。
声をかける理由もないし、僕はもう会社という場所を離れてしまっているから、
声をかけられるような関係でもなかった。
でも、どこかで自分の姿を見られたくなかった。
やましいことなんて、何もないのに。
気づけば、スッと路地裏に身を隠していた。
自分でも驚くほど、自然な動きだった。
ただ見られたくなかっただけじゃない。
たぶん、なにかを比べられたくなかったのかもしれない。
そのまま、狭い道を抜けて反対側の通りへ。
街灯が一つだけ点いていて、薄く光を落としていた。
…空は、雲の多い、くすんだ夕焼けだった。
澄んだ赤でもなく、劇的な茜色とも違う。
なんとも言えない、曖昧な赤。
その色が、なんとなく胸にざらっと引っかかった。
誰に見られても困ることなんて、ない。
あの会社に未練があるわけでも、恨みがあるわけでもない。
それでも、自分でも理由のわからない居心地の悪さを感じた。
逃げたくはなかったけど、逃げた。
体が勝手に動いていた。
いや、どうでもいい。
逃げたんだ。
「…俺は、何をやってるんだ」
無意識に、声が漏れていた。
自分の声なのに、どこか遠くから聞こえた気がした。
歩道の向こうで信号が変わった。
やけに響く歩行者信号の音。
誰かが自転車で通り過ぎていく。
僕は立ち止まったまま、しばらく動けなかった。
…そうか。
僕はもう、誰とも「お疲れさま」を言うこともなければ、
笑いあって帰り道を歩くこともないんだろうな。
それは、覚悟して離れた会社だった。
わかってた。
もう、あの席に戻ることはないって。
でも、、
今日みたいに、かつての同僚が何気ない夕方を過ごしている姿を見てしまうと、
強烈に思ってしまうんだ。
ああ、、
やっぱり僕は、社会から外れてしまったんだなって。
そう、僕には「またあした」って言い合える仲間がもう、いないんだよ。
そんなことを考えていた。
きっとさっきの三人も、「またね」「お疲れ」と言い合って別れたんだろうな…
そう思いながら、人混みの後ろ姿を、なんとなく目で追ってしまった。
寂しい、、
ううん、寂しいというより、疎外感…なのかもしれない。
そこにいたはずなのに、今はもういない。
自分だけが置いていかれたような、そんな感覚。
とにかく、、
そんな気持ちを抱えながら、
僕はしばらく、誰ともすれ違わない通りを、静かに歩いていた。
空は、雲が晴れてオレンジ色で、少し淡い感じだった。
そのグラデーションが、
今の僕には、残念なくらい綺麗だった。

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