
《ちゃんとしたいと思うたびに、
僕は“準備のための準備”に手を伸ばしてしまう。》
「取材か……」
ため息まじりにそんな言葉が出る。
取材そのものはそんなに大変じゃないと思う。
たまに、結構大変って思うときもある。
取材って、そんなもの。
別に、何か特別なスキルが必要なわけじゃない。
相手の話をちゃんと聞いて、必要な情報をまとめるだけ。
相手の表情から次の質問を探すこともある。
僕はだめなりにずっとその仕事をしてきたし、それで食べてもいた。
なんでこんなに腰が重いんだろう。
今日は朝から、体がだるい。
だるいのは、もしかしたら、心かもしれない。
天気は悪くない。
空は少し霞んでいた。
春の空気は、何もなければ心地いい。
けれども今日は、それも心地よさがあまりない。
どちらかと言えば、冬の冷たい空気に自分を晒している方が楽な気がする。
起き上がってからも、コーヒーは入れずに、結局缶コーヒー。
窓から空を見た。
見たというよりは、ただ上を向いていただけなのかもしれない。
何か考えているようで、何も考えていない。
心のどこかに何かがあるのかもしれないし、ないのかもしれない。
こんなときは、本当に自分がわからない。
何を聞こう。
そう思って、ノートを開いた。
じっくり考えたいから、万年筆を取り出す。
途中でインクが切れると思考が途絶える。
だから、わざわざインクを入れ直した。
もしかしたらこの動作さえも、自分の考えをまとめることの先延ばしなのかもしれない。
過去にやった特集記事の切り抜きを何度も見返した。
インタビューの入り方、話の流れ、結びの言葉――。
参考になる。
参考になるけれど、つまらない。
何かがつまらない……。
そこには決まった方程式のようなものがあって、当てはめていけばそれなりのものができる。
それは言葉を扱う僕にとって、いいのか悪いのか、いつも分からなくなるところだ。
ただ、それが雑誌として世に出ているんだから、たぶん正解なんだろう。
正解のない中の正解。
僕は、なんかそれが嫌だ。
僕が書きたいことは、一体何なんだろう。
それは分からないけれど、方程式では出てこない言葉だっていうことぐらいはわかる。
何かが欲しい。
一歩、突っ込んだ言葉。
相手の奥に触れるような問い。
その言葉を僕が使っていいのか、それもわからない。
そもそも、そういう記事を、いまこの雑誌が求めているのか。
結局、それが原稿になってみないとわからないことが、もどかしい。
取材対象の資料を読んだ。
なるほど、出来る人だ。
すごいなあって思った。
そして雑誌を読んで、どの部分が使えるかを考えてみたり。
でも、それもなんか違う気がする。
ふと外を見ると、少し雨が降りそうだ。
少し窓を開けると、湿り気を帯びた土の匂いがした。
僕は何をやっているんだろう。
自分でも、準備をしているのか、何をしているのか。
たぶんそれは、僕にまだ軸がないからだろう。
自分の軸。相手の前に座って、それでもぶれない自分の軸。
それを僕が持っていて、いいのかどうか。
今までは名刺に肩書きが入っていた。
それが自分の鎧のような役割をして、軸の代わりになっていたのかもしれない。
街の印刷屋で名刺を作った。
「中原徹/フリーライター」
渡された出来立ての名刺を見て、思わず笑ってしまった。
軽い。なんて軽い肩書きなんだろう。
大きくため息をついた。
「まいったな……」
この名前で、また人と向き合っていくのか。
名刺を配るのなんて、久しぶりだ。
これからは、肩書じゃなくて、これしか僕にはない。
この小さな紙の「フリーライター」という文字。これで生きていく。
そう思ったとき、喉の奥に、ぎゅっと力が入った。
「覚悟なんて、そんな簡単に決まるもんじゃない」
そう、心の中でつぶやく。
でも、準備はしておこう。
せめて形だけでも整えておけば、当日焦ることはない。
ノートに質問案を書き込んでいく。
聞きたいこと、掘り下げたいこと……。
僕の言葉は、届くのかな。
一通り書き終えたころ、ペンを置いた。
自然と呼吸が深くなった。
真剣に書いていたからなのか、息を止めていたみたいだ。
これなら、小学生でも取材ぐらいはできるだろう。
これで何も聞き出せないようだったら、僕が僕自身を疑う。
でも、どうしてだろう。
気持ちが重い。
自分にできるのか、なんて問いはもう要らない。
この程度の仕事はできる。
自信があるとは言わない。
自信がないとも言わない。
その程度の自分でも、これはたぶんできる範囲の仕事。
なのに――気が重い。
これはきっと、怖いんだ。
何が怖いのか。
これを機に社会とつながってやっていけるのか。
それとも、自分の能力のなさに呆れるのか。
答えは見つからない。
ただ、なにかに“応えよう”とするとき、僕はいつもこうなる。
うまくやりたい。ちゃんとしたい。
でも、うまくできなかったときの自分が、怖い。
そういう不器用な気持ちが、ぐるぐると体の奥に絡みついてくる。
こんな年になっても、それがまだよく分からない。
だけど、それでも――
僕は、いいものが書きたい。
ちゃんと、その人を知って、書きたいと思っている。
たとえ、それがうまく言葉にならなかったとしても。
それでも、向き合いたいと思っている。
頭の中を、同じ考えが何度もぐるぐるしているうちに、気づけばもう夕方だった。
今日は、いつものカフェに行かない。
行けば、いつもの自分になれるだろう。
でも今日は、それをしちゃいけない気がした。
🕊️ このエピソードと静かに呼応する、もうひとつの物語。
👉 【麻衣編】第五話 「刺さったままの言葉」
※取材前夜、それぞれが抱えていた“言葉にならない気持ち”を描いています。

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