【徹編】第三話 取材という言葉

《人と繋がりたかった。そして僕は今…》


「取材?」

それが驚きだったのか、緊張だったのか、自分でもよくわからない。
肩に変な力が入って息が深く吸えない気がした。
立っているのか、いないのか、足元がふわふわしている。

物を書くのは、嫌いじゃない。
でも、口下手なのは自分でもよくわかっている。
原稿用紙を前にしてなら話せることも、誰かの目を見て言葉を交わすとなると、とたんに言葉が出なくなる。
うまく喋れない自分を、ずっと持て余してきた。

社会に出たのは、東京という憧れの街だった。
学生の頃、テレビや雑誌で見る華やかな世界に、なんとなく惹かれていた。
でも、その華やかさに、僕は、届かなかった。

物書きになりたい――そんな響きに惹かれた時期もあった。
でも就職できたのは、出版社の営業。まるで自分に向いていない。
そのくらいは自分にもわかる。

初めの頃は、必死に「営業スマイル」の真似事をした。
けれど、うまく立ち回れない。
相手の表情を読んで対応を変える、そんな器用な真似は出来ない。
提案資料の説明で噛み、上司からの引き継ぎで失敗し、クレーム処理の電話に声が震えた。

自分でもよく分からないけれど、とっさのときになると頭が真っ白になってしまうんだ。
そして考えていたことが何も言葉として出てこない。

いろんな本を読んだ。
頭の中でシミュレーションも何度もした。
でもいつもその場になると、頭の中が真っ白になってしまう。

そんな僕を見て「向いてない」と、自分で思うより先に、周囲がそう判断していた。

バブルが崩壊して、社会が一気に変わり始めた頃。
それでも「就職できた」ことは、当時の僕には十分すぎるほどの幸運だった。
だから、仕事を失うことが、怖かった。
自分の価値が、社会の中から消えることが。

営業の現場から外されたのは、五年目だった。
表向きは「体調面を考慮して」と言われたが、実際は単に戦力外通告。
それからしばらくは、雑務を任される日々が続いた。
コピー用紙の補充、書類の仕分け、誰がやっても変わらないような仕事。
倉庫の整理を任されたとき、自分が“いらない人”になったような気がして、心が静かに冷えていった。

それでも、辞めるという選択はできなかった。
実家には頼れなかったし、自分には何の肩書きもない。
それに——どこかで「自分を必要としてくれる場所が、もしかしたらいつか来るかもしれない」なんて、小さな期待もあったかもしれない。

月日が流れて、会社は吸収合併され、部署も人もどんどん入れ替わった。
僕だけが取り残されたような気がして、でもそれが当たり前にも思えてきて。
誰からも期待されず、責任もない、静かに勤め続けた。
まるで、そこに居ないようだった。


何も感じなくなった。

地元に戻り、知り合いの紹介で地方の小さな出版社に移った。
社員も少なくて、役職なんてものはあってないようなもの。
人がいないぶん、仕事は、まわってきた。

流されるように、気づけば肩書きだけは“編集長”になっていた。
でも、口下手なのは結局、そのまま。
それでも頑張って話していた。
自分で取材をしてきた。
正直毎回震えたし相変わらず頭の中が真っ白になってしまう。
それでもできる限りやったつもりだ。

広告収入がじわじわと減って、利益が出ていないわけじゃなかったけど、僕は気まずくなった。
その地方の出版社を去った。

そして今——
「取材をお願いしたいんです」と言われた。
勤めていた会社からの依頼。
小さな企画だけれど、地方の輝いてる人を取材してくれないかという話だった。

正直、取材と言われても……自信なんて、ない。
まして、人に会って話を聞くなんてことは、このところほとんどなかった。
でも、不思議なことに、少しだけ何かを感じた。

少しずつ、貯金も崩している。
老後の不安は、もちろんある。
体力も落ちた。夜になるとスマホの文字が見えづらくなった。
薬局でシニア向けのサプリメントを手に取って、そっと棚に戻した日もある。

でも、それ以上に怖いのは——
社会との繋がりが途切れることだった。

朝、ポストを開けてもチラシしか入っていない。
一日、誰とも話さず終わる日もある。

まるで自分が“透明人間”になったような気がしてしまう。

コンビニでお金を払う時にありがとうと言う。
その時に店員さんと少しだけ交流があったりすると、「まだ社会と繋がってるんだなあ」と思ってしまうほどだった。

今回の仕事は、別に大きな報酬が出るわけでもない。
表紙を飾るわけでもない。
多分、記事が人気になるとか、話題になるとか、そんなこともないだろう。

もしかしたらお情けで誰かが回してくれた仕事なのかもしれない。
それでも、「まだ繋がっていられる」
そう思えるだけで、この依頼には、十分すぎるほどの価値があった。

原稿用紙の隅に、取材先の名前をメモする。
ペンのインクが薄くなっていることに気づいて、苦笑いがこぼれた。


会社へ出向いて、打ち合わせは静かに終わった。
相手は、かつて同じフロアで働いていた後輩。
「編集長の…」と言いかけた後輩に、
「いや、俺はもう編集長じゃないよ」と、つい被せるように言ってしまった。
相手もそれ以上は何も言わなかった。

会議室を出て、エレベーターの鏡に映った自分の顔が、やけに疲れている。

外に出て、なんとなく自分が取材しているところを思い浮かべた。
「名刺くらい、あった方がいいな」

向かったのは、安い名刺屋。
受け取った白地の名刺には、“中原徹 フリーライター”

なんとなく落ち着かない。
変な緊張を抱えたまま家に戻った。

引き出しの奥にしまってあった古い名刺入れを取り出した。

くたびれた名刺入れに、新しい名刺を差し込もうとした。
一枚だけ、残っていた。

「編集長 中原徹」

捨てようかと思った
——でも、手が止まった
これが、最後の一枚だった。

一度だけ深呼吸して、名刺入れを閉じた。
「これは……まあ、記念品ってことで」
そうつぶやいて、自分でも苦笑いする。

――さて、どんな話を聞こうか。
うまく話せなくても、聞くことなら、まだできるかもしれない。
相手の言葉を、ただまっすぐに受け取る。
そんな取材のやり方があっても、きっと、いい。

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