
《人と繋がりたかった。そして僕は今…》
「取材?」
それが驚きだったのか、緊張だったのか、自分でもよくわからない。
肩に変な力が入って息が深く吸えない気がした。
立っているのか、いないのか、足元がふわふわしている。
物を書くのは、嫌いじゃない。
でも、口下手なのは自分でもよくわかっている。
原稿用紙を前にしてなら話せることも、誰かの目を見て言葉を交わすとなると、とたんに言葉が出なくなる。
うまく喋れない自分を、ずっと持て余してきた。
社会に出たのは、東京という憧れの街だった。
学生の頃、テレビや雑誌で見る華やかな世界に、なんとなく惹かれていた。
でも、その華やかさに、僕は、届かなかった。
物書きになりたい――そんな響きに惹かれた時期もあった。
でも就職できたのは、出版社の営業。まるで自分に向いていない。
そのくらいは自分にもわかる。
初めの頃は、必死に「営業スマイル」の真似事をした。
けれど、うまく立ち回れない。
相手の表情を読んで対応を変える、そんな器用な真似は出来ない。
提案資料の説明で噛み、上司からの引き継ぎで失敗し、クレーム処理の電話に声が震えた。
自分でもよく分からないけれど、とっさのときになると頭が真っ白になってしまうんだ。
そして考えていたことが何も言葉として出てこない。
いろんな本を読んだ。
頭の中でシミュレーションも何度もした。
でもいつもその場になると、頭の中が真っ白になってしまう。
そんな僕を見て「向いてない」と、自分で思うより先に、周囲がそう判断していた。
バブルが崩壊して、社会が一気に変わり始めた頃。
それでも「就職できた」ことは、当時の僕には十分すぎるほどの幸運だった。
だから、仕事を失うことが、怖かった。
自分の価値が、社会の中から消えることが。
営業の現場から外されたのは、五年目だった。
表向きは「体調面を考慮して」と言われたが、実際は単に戦力外通告。
それからしばらくは、雑務を任される日々が続いた。
コピー用紙の補充、書類の仕分け、誰がやっても変わらないような仕事。
倉庫の整理を任されたとき、自分が“いらない人”になったような気がして、心が静かに冷えていった。
それでも、辞めるという選択はできなかった。
実家には頼れなかったし、自分には何の肩書きもない。
それに——どこかで「自分を必要としてくれる場所が、もしかしたらいつか来るかもしれない」なんて、小さな期待もあったかもしれない。
月日が流れて、会社は吸収合併され、部署も人もどんどん入れ替わった。
僕だけが取り残されたような気がして、でもそれが当たり前にも思えてきて。
誰からも期待されず、責任もない、静かに勤め続けた。
まるで、そこに居ないようだった。
何も感じなくなった。
地元に戻り、知り合いの紹介で地方の小さな出版社に移った。
社員も少なくて、役職なんてものはあってないようなもの。
人がいないぶん、仕事は、まわってきた。
流されるように、気づけば肩書きだけは“編集長”になっていた。
でも、口下手なのは結局、そのまま。
それでも頑張って話していた。
自分で取材をしてきた。
正直毎回震えたし相変わらず頭の中が真っ白になってしまう。
それでもできる限りやったつもりだ。
広告収入がじわじわと減って、利益が出ていないわけじゃなかったけど、僕は気まずくなった。
その地方の出版社を去った。
そして今——
「取材をお願いしたいんです」と言われた。
勤めていた会社からの依頼。
小さな企画だけれど、地方の輝いてる人を取材してくれないかという話だった。
正直、取材と言われても……自信なんて、ない。
まして、人に会って話を聞くなんてことは、このところほとんどなかった。
でも、不思議なことに、少しだけ何かを感じた。
少しずつ、貯金も崩している。
老後の不安は、もちろんある。
体力も落ちた。夜になるとスマホの文字が見えづらくなった。
薬局でシニア向けのサプリメントを手に取って、そっと棚に戻した日もある。
でも、それ以上に怖いのは——
社会との繋がりが途切れることだった。
朝、ポストを開けてもチラシしか入っていない。
一日、誰とも話さず終わる日もある。
まるで自分が“透明人間”になったような気がしてしまう。
コンビニでお金を払う時にありがとうと言う。
その時に店員さんと少しだけ交流があったりすると、「まだ社会と繋がってるんだなあ」と思ってしまうほどだった。
今回の仕事は、別に大きな報酬が出るわけでもない。
表紙を飾るわけでもない。
多分、記事が人気になるとか、話題になるとか、そんなこともないだろう。
もしかしたらお情けで誰かが回してくれた仕事なのかもしれない。
それでも、「まだ繋がっていられる」
そう思えるだけで、この依頼には、十分すぎるほどの価値があった。
原稿用紙の隅に、取材先の名前をメモする。
ペンのインクが薄くなっていることに気づいて、苦笑いがこぼれた。
会社へ出向いて、打ち合わせは静かに終わった。
相手は、かつて同じフロアで働いていた後輩。
「編集長の…」と言いかけた後輩に、
「いや、俺はもう編集長じゃないよ」と、つい被せるように言ってしまった。
相手もそれ以上は何も言わなかった。
会議室を出て、エレベーターの鏡に映った自分の顔が、やけに疲れている。
外に出て、なんとなく自分が取材しているところを思い浮かべた。
「名刺くらい、あった方がいいな」
向かったのは、安い名刺屋。
受け取った白地の名刺には、“中原徹 フリーライター”
なんとなく落ち着かない。
変な緊張を抱えたまま家に戻った。
引き出しの奥にしまってあった古い名刺入れを取り出した。
くたびれた名刺入れに、新しい名刺を差し込もうとした。
一枚だけ、残っていた。
「編集長 中原徹」
捨てようかと思った
——でも、手が止まった
これが、最後の一枚だった。
一度だけ深呼吸して、名刺入れを閉じた。
「これは……まあ、記念品ってことで」
そうつぶやいて、自分でも苦笑いする。
――さて、どんな話を聞こうか。
うまく話せなくても、聞くことなら、まだできるかもしれない。
相手の言葉を、ただまっすぐに受け取る。
そんな取材のやり方があっても、きっと、いい。

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