【徹編】第二話「カフェに行かなかった日」

《ただ、カフェに行かなかった。
それだけのことが、思いがけず一日を揺らすことがある。

いつも通りから少し外れた、ほんの小さな選択。
誰にも知られず、誰にも届かないけれど、
自分だけは、静かにその余韻の中にいた。》


午後の風は、思っていたよりも冷たかった。
春のはずなのに、空の色もくすんだ青が広がっている。
背中に差す日差し。
少しだけ背中が寒くなくて、逆に寒さを感じる。

今日は、駅の方のカフェに行こうと思っていた。
いつもの流れなら、そうしていた。

何も考えずに歩いて、入り慣れた店でいつものブレンドを注文して、いつもの席でぼんやりする。
それが、自分にとっての“日常”だった。

そのリズムは嫌いじゃない。
同じことの繰り返しには、時々ほっとする。

味の濃さも、ガタつく椅子の座り心地も、隣の席で誰かがパソコンを打っている音も、
全部込みでの“いつもの場所”。

でも、なぜか今日は行けなかった。
理由はない。ただ、なんとなく足が向かなかった。それだけだ。

そんな日がたまにある。
もしかしたら、日々へのささやかな抵抗なのかもしれない。

まぁ、そんな上等なものでもないか。

いつもから、少し外れた別の“いつも”。
数少ない僕のパターン。予定が無いから許される選択。

気づけば、カフェへと向かう途中の道を外れて、公園の方へと歩いていた。

この街にいくつかあるうちの、小さな、誰もいない公園。
ベンチが二つ、滑り台が一つ、桜の木が何本か立っている。

その桜もまだ二分咲きといったところで、咲いているのか咲いていないのか、曖昧なままだ。
冷たい風が枝を揺らしていた。枝が少し震えるたびに、小さな音を立てる。

その音が、やけに静かな午後に混じっていた。
子供の声もしない。

ベンチに腰を下ろして、ポケットから缶コーヒーを取り出す。
さっき、信号を渡った先のコンビニで何気なく手に取った。

特にこだわりがあるわけじゃない。
ただ、こういう時は、いつも缶コーヒーが手にある。

プルタブを開けると、小さな金属音がした。
それが妙に大げさに響いて、思わず周囲を見渡す。
けれど、やはり誰もいない。

ひと口飲んで、目を閉じた。
苦味が口に広がる。
でも、それが悪くない。
その苦さが「今ここにいる」ことを実感させてくれる。

この缶コーヒーがなかったら僕はここにいて、ここにいない人間。
そんなもんだ。

この公園が特別好きというわけではない。
けれど、たまにこうしてふらっと来てしまうのは、自分の“置き場”が他にないからかもしれない。

どこにも属していない感覚。
誰にも必要とされていないような気持ち。

社会のレールから外れてしまったという現実。
苦しいような、だるいような。
この感覚は、格好よく言えば“虚無”。

……格好よくもないか。ただの空っぽなだけの自分。

孤独は、嫌いじゃない。
誰もいない場所にいると、むしろ安心する。

人混みの中にいるときの方が、かえって孤独を感じることがある。
笑い声や話し声が耳に入ってきても、自分には関係のない世界だと思ってしまう。

スーツ姿で疲れて歩いてる人を見ても、多分僕より生きてる感じがある。
僕は今のところ、その“生きてる感じ”すらもない。

呼吸はしている。でも、それだけ。

社会では、「自己責任」なんて言葉がよく飛び交ってる。
僕のこれも、そんなふうに切り捨てられる現状。

はい、自己責任。それは……まぁ、認めています。

癒されたいと思うときもある。
人と繋がっていたいと思う瞬間もある。

矛盾してる。でも、人間なんてそんなものかもしれない。

何も考えないようにしていたのに、気づけば自分の人生を振り返っていた。
「なぜ、あのとき…」そうやって過去を繰り返し悩んで悔やむ。

決まって気分が沈んでくる。
でも、他に考えることもない。

缶コーヒーをまたひと口。少しぬるくなってきた。

視線を上げると、桜の枝の合間から、灰色がかった空が見えた。
雨が降らなければいいな、と思ったが、どうやら今日はもちそうだった。

自分の選択の意味がわからない日というのはある。
ただ歩いて、ただ止まって、ただ缶コーヒーを飲んで、空を見上げて。

それが何になるのかなんて、説明のしようもない。
でも、意味なんて、あとから決めればいい。

そう思わなきゃ、やっていけない。

缶の底が軽くなったことに気づき、最後の一口を飲み干した。
そして、空の缶をショルダーバッグに入れる。

音がしないようにそっと。誰に見られているわけでもないのに、癖になっている。

立ち上がる。
ちゃんと立ってるけど、立ってないような感覚。
自分が透けているんじゃないかと思う。

ベンチに一礼するように軽く頭を下げてから歩き出す。

今日の“イベント”は、これで終わり。

自分で言うのもなんだけど、これは寂しい人生だと思う。
誰かに必要とされるでもなく、誰かを必要とするでもなく、ただ、静かに流れていく時間。

僕はどこに流されていくんだろう。
その流される“ながれ”があるなら、まだいいか。

家に帰ったらブログでも書こうかと思う。
昨日の記事は、たった二人。いや、“二人も”読みに来てくれた。

たまたま通りかかった誰かかもしれない。
それでもいい。

人とは、どこかで、何かで繋がっている。
名前も顔も知らなくても、言葉が交わらなくても──。

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