【麻衣編】第二五話 卵がなかっただけなんだけど

《「なんかね、順調だよ?
大丈夫、だよね?」
黙っていられなくなるくらい、
静かな日だった。》


朝、アラームの前に目が覚めた。
お天気もいい。
こんな日は、だいたい順調だ。

……なのに、順調すぎる気がした。

 

そう、ちょっと前ならだいたい順調。
今は、わからない。
ここのところ、ちょっといろいろありすぎた気がする。

 

仕事がうまくいって、
柚葉との関係も一歩進んだと思う。

柚葉の影響なのか、
他の子達も以前より意識が変わってきてる。

「どうやるか」
そんな意識が出てきて、
質問の質みたいなものが、変わり始めてる。

 

メールチェック、資料の確認、リマインダーの整理。
決まっていた打ち合わせも、予定通りに進んでいく。

 

柚葉が先回りしてくれていたおかげで、
特に言うこともなかった。

言うことがなさ過ぎて、
さみしくもある。

私も、いろいろ変えていかなくちゃね。

 

お昼は、いつもの商店街。
お惣菜屋さんの、お弁当屋。

今日は卵焼きの入ったやつに間に合った。
一番好きな卵焼きが、おかずの中心にどーんといる。

 

あ、ラッキー。
そう思ったのに、
口に入れても、そこまで嬉しくなかった。

 

美味しかった。
でも――それだけだった。

 

あっさりと流れていく時間。
以前より内容は、濃い。
でも、サラサラしてる。

 

午後も、滞りがない。
今日は、大丈夫。……なのよね?

 

新人スタッフからの質問もちゃんと整理されていて、
一つ一つ答えるだけで済んだ。

 

柚が、質問の仕方を教えているらしい。
みんな、アイコンタクトを交わしながら、
小さなノートに何かを書いている。

そのノートを、いつも携えている。
たぶん、あれが、柚葉スタイル。

 

それだけのノートだから、
ふと――中身を見てみたくなった。

そのくらい、柚は、なにかすごい子なの。

 

こういう日が続けば、
仕事はきっとうまくいく。
たぶん、間違いなく、ストレスもない。

そんな日々、
いろいろな展開も思い浮かぶだろうと思った。

 

そう思うのに、
どこか“心”が、余っている気がした。

持て余した心。
そんな時に、少し余計なことが浮かぶ。

 

元気かしら?
カフェで、あったのが、しばらく前。

忙しい時は気にしてない、
気にしないようにしてる。

少しの余裕が、今は……ね。

 

何も起こらない。
波もなく、引っかかりもなく、
ただ予定通りに時が流れる。

 

昔の私なら、
そんな日を「ありがたい」と感じていたはず。

そして、たぶん、変化をどこかで望んでいた。

 

でも、ここ最近、
何かが変わる瞬間をたくさんくぐり抜けてきたから、

“何かが起きる”を
どこかで期待している。

 

スタッフの成長も、
新しい案件の始まりも、
自分自身の、言葉にならない変化も――

 

慣れ、とでも言うのかな。
動き出すこと、何かを感じること。
立ち止まっても、また揺れること。

 

変化がある日常が、
いつの間にか“当たり前”になっていた。

 

夕方、窓から差し込む光がきれいだった。
部屋の隅に長く伸びる影を見て、
少し、静かすぎるなと思った。

物足りないんじゃなくて、
穏やかで、少しだけ冷えた、静か。

 

夜ごはんの献立は、朝に決めていた。
冷蔵庫にあるもので充分なはずだった。
特別な工夫もいらない。

 

……そのつもりだったけど、卵がなかった。
なんだか、変な感じがした。

 

忙しい日々が続いてたから、
買い足すタイミングを逃してたのかもしれない。

でも、今日みたいな日は、
そんなことも妙に気になる。

整いすぎてると、
逆に不安になるのは、なんでだろう。

 

そんなことを思いながら、深く息を吐く。
何も考えずに、調理道具を並べていく。

 

今日は、何もなかった。
本当に、何も。

 

それが、
ほんの少しだけ――こわいと思った。

 

猫のぬいぐるみに話しかける。

「なんかね、順調だよ?
大丈夫、だよね?」

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