【麻衣編】第二二話 走った!

《誰かに言われて気づくことがある。
自分の変化は、自分がいちばん気づきにくい。

でも、たしかに。
どこかのタイミングで、足が前に出るようになったのかもしれない。

そんな、ひとつの夜の話です。》


「麻衣さん、ちょっと変わりましたよね」

柚葉が、報告の合間に耳元で口にした。

「……いい意味でですけど」
「前よりも、言葉がやさしいっていうか」
と、少しだけ照れたように笑う。

「そう?」

柚は、なにか気づいてるんでしょ。
私が気づいてなくても。
柚は、そういう子。
私よりも、見えてるから。

そのまま何気ない会話に戻った。
だけど、その言葉だけが、なぜか胸に残って、繰り返してる。

私は変わったのかな。

変わった……のかもしれない。

何が、って聞かれると、うまく言えない。
自分では、よくわからない。

ただ、なんとなく違う。

そんな気がする時がある。

それが「いいこと」なのかは、まだわからないけど。


夜。
疲れていた。
でも、まだ残ってる気がした。

帰宅して、冷蔵庫を開ける。

みたらし団子が、ない。

食べちゃってたかぁ。
美味しかったから、止まらなかったんだ。

そうだった。
和菓子屋さん、まだやってるかしら?

時計は6時半少し前。
たしか7時までだったはず。

30分、歩いても、間に合う。
家からなら、思ったより裏道で近かったから。

玄関に向かった。
バッグをつかみ、靴を履いて外に出る。

足元はスニーカー。
チグハグなんて気にしてちゃだめ。
機能美よ、機能美。

歩いても行ける。
でも、なぜか走った。

たぶん昔なら走ることはなかったと思う。
体が走れって言ってる気がする。
違う。
私が走ろうと思って走ってる。

いつぶりだろう、こんなふうに急いだのは。

アスファルトはまだ熱い。

でも、止まりたくなかった。

水を撒いている家があった。
一瞬だけ、涼しい風が吹き抜ける。

足音と、息の音が、ピッタリ合ってる感じ。

それが、気持ちいい。


店はちょうど、片付けの最中だった。

息を切らしながらシャッターの途中から顔をのぞかせると、女将が笑って迎えてくれた。

「あらあら、走って来てくださったのですか?」

「ごめ、んなさい、こんな、時間に」

「あの、みたらし」

「3本、残ってますよ」

にこやかに言って、包んでくれた。

みたらし団子の包みを手に取って、深呼吸をした。
ようやく、息が落ち着いてきた。

「これ、おまけです。走って来てくれたから」

花の形をした和菓子。

両手にお菓子。

帰ろうとしたところで、女将が声をかけてくれた。

「お茶、飲んでいかれます?」

麻衣は、ただ頷いた。

息をするタイミングが合わなくて、声が出せなかった。

出された湯呑みから立ち上る、甘いお茶の香り。
一口、口に含む。
胸の奥にじんわりとしみこんでいく。

大きく、息をした。

両手のお菓子は、丁寧に袋に入れられていた。


外の風にあたる。

夜の匂いが、少し濃くなっていた。

「夜は涼しいわね」

小さく、そうつぶやく。

帰り道、コンビニに寄ってお茶っ葉を買った。

あの濃いお茶の味を、自分でも淹れてみたくなった。

流石にコンビニのお茶じゃ無理かもと思ったけど、
それでも飲みたくなった。

ビニール袋の中で、団子と花の菓子が揺れている。
もうちょっとで、泣いてしまうところだった。
信号待ちの間、ふと笑ってしまう。

私も、まだ走れるのね――

その事実が、なぜかとても、嬉しかった。

私の何が変わったのかな。

変わったのか、戻ったのか。

たぶん、ね。

みたらしが嬉しいのか、何が嬉しいのかは、自分でもよくわからない。

ただ、なにか心地が良かった。

誰かに教えたい――
いいことじゃなくて、自分だけが知ってて嬉しいこと。
そんな気分。

走れたことが嬉しい。
それも、あるかもしれない。

でも……嬉しいは、嬉しい。

それで、いいじゃない。

帰りも……走っちゃう?

少し笑った。
口角はあげられた。

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