
《誰かに言われて気づくことがある。
自分の変化は、自分がいちばん気づきにくい。
でも、たしかに。
どこかのタイミングで、足が前に出るようになったのかもしれない。
そんな、ひとつの夜の話です。》
「麻衣さん、ちょっと変わりましたよね」
柚葉が、報告の合間に耳元で口にした。
「……いい意味でですけど」
「前よりも、言葉がやさしいっていうか」
と、少しだけ照れたように笑う。
「そう?」
柚は、なにか気づいてるんでしょ。
私が気づいてなくても。
柚は、そういう子。
私よりも、見えてるから。
そのまま何気ない会話に戻った。
だけど、その言葉だけが、なぜか胸に残って、繰り返してる。
私は変わったのかな。
変わった……のかもしれない。
何が、って聞かれると、うまく言えない。
自分では、よくわからない。
ただ、なんとなく違う。
そんな気がする時がある。
それが「いいこと」なのかは、まだわからないけど。
夜。
疲れていた。
でも、まだ残ってる気がした。
帰宅して、冷蔵庫を開ける。
みたらし団子が、ない。
食べちゃってたかぁ。
美味しかったから、止まらなかったんだ。
そうだった。
和菓子屋さん、まだやってるかしら?
時計は6時半少し前。
たしか7時までだったはず。
30分、歩いても、間に合う。
家からなら、思ったより裏道で近かったから。
玄関に向かった。
バッグをつかみ、靴を履いて外に出る。
足元はスニーカー。
チグハグなんて気にしてちゃだめ。
機能美よ、機能美。
歩いても行ける。
でも、なぜか走った。
たぶん昔なら走ることはなかったと思う。
体が走れって言ってる気がする。
違う。
私が走ろうと思って走ってる。
いつぶりだろう、こんなふうに急いだのは。
アスファルトはまだ熱い。
でも、止まりたくなかった。
水を撒いている家があった。
一瞬だけ、涼しい風が吹き抜ける。
足音と、息の音が、ピッタリ合ってる感じ。
それが、気持ちいい。
店はちょうど、片付けの最中だった。
息を切らしながらシャッターの途中から顔をのぞかせると、女将が笑って迎えてくれた。
「あらあら、走って来てくださったのですか?」
「ごめ、んなさい、こんな、時間に」
「あの、みたらし」
「3本、残ってますよ」
にこやかに言って、包んでくれた。
みたらし団子の包みを手に取って、深呼吸をした。
ようやく、息が落ち着いてきた。
「これ、おまけです。走って来てくれたから」
花の形をした和菓子。
両手にお菓子。
帰ろうとしたところで、女将が声をかけてくれた。
「お茶、飲んでいかれます?」
麻衣は、ただ頷いた。
息をするタイミングが合わなくて、声が出せなかった。
出された湯呑みから立ち上る、甘いお茶の香り。
一口、口に含む。
胸の奥にじんわりとしみこんでいく。
大きく、息をした。
両手のお菓子は、丁寧に袋に入れられていた。
外の風にあたる。
夜の匂いが、少し濃くなっていた。
「夜は涼しいわね」
小さく、そうつぶやく。
帰り道、コンビニに寄ってお茶っ葉を買った。
あの濃いお茶の味を、自分でも淹れてみたくなった。
流石にコンビニのお茶じゃ無理かもと思ったけど、
それでも飲みたくなった。
ビニール袋の中で、団子と花の菓子が揺れている。
もうちょっとで、泣いてしまうところだった。
信号待ちの間、ふと笑ってしまう。
私も、まだ走れるのね――
その事実が、なぜかとても、嬉しかった。
私の何が変わったのかな。
変わったのか、戻ったのか。
たぶん、ね。
みたらしが嬉しいのか、何が嬉しいのかは、自分でもよくわからない。
ただ、なにか心地が良かった。
誰かに教えたい――
いいことじゃなくて、自分だけが知ってて嬉しいこと。
そんな気分。
走れたことが嬉しい。
それも、あるかもしれない。
でも……嬉しいは、嬉しい。
それで、いいじゃない。
帰りも……走っちゃう?
少し笑った。
口角はあげられた。

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