【麻衣編】第十九話 今日はこれでいいか

《ひと仕事終えた帰り道、
いつもと違う道を選んでみた。
静かな和菓子屋で出会ったのは、懐かしさと、確かな重み。
「届く」ということの意味を、少しだけ考えた夜でした。》


時代なのかしらね。
紙よりも、ネット。

タブレットを見ながら、ため息をひとつ。
画面が、少し冷たく感じる。

紙は、全部を一度に見せることができる。
レイアウトも、余白も、質感も含めて。

今の自分のデザインは、“ぶつ切り”で見られる。
悪いことじゃない。
でも、どこか寂しい。

今回引き受けた仕事も、結果は出ている。
柚葉は「バズりました!」って大喜びしていた。
他のスタッフも、数値を見て笑顔になっていた。

そうよね、柚は頑張ってた。
一度帰ったあと、夜にまたオフィスへ戻って作業してたの。
私は知ってる。
あの子、自分が見ていなくても、やる子だ。

仕掛けたデザインがリツイートされて、数字がどんどん増えていく。
もちろん、嬉しい。

けれど、何か――
何かが、少しだけ引っかかっていた。

私もSNSは使っているし、
その便利さや、情報の速さ、影響力も、よく分かってる。
でも、ときどき、怖くなる。

投稿した瞬間から、
それはもう、私のものではなくなる。

拡がっていって、
別の意味をつけられて、
気づけば、誰かの「象徴」になっていたりする。

スマホの通知が鳴る。
またひとつ、数字が増えていた。

「こんなに伸びてるの、初めてです!」

柚葉がそう言ったときの目は、本当に輝いていた。
若さって、ああいう光なのかもしれない。
……少しだけ、眩しすぎることもあるけれど。

見られている。拡散されている。
でも、それって――ちゃんと“届いている”のかしら?

画面の向こうの誰かが、
私の意図とは違う言葉で、違う温度で、受け取っていく。

それは悪いことじゃない。
でも、置いてきぼりになるのは、いつも“私”のほう。

あのころ、紙で作ったものは、
手間も時間もかかっていた。
でも、そのぶん、手から離すときは、ちゃんと“見送る”気持ちがあった。

今は――ただ、手放されていく。
止まらない速度で。

「私は、何を作ってるんだろう」

声にならないその問いが、胸の奥に、静かに沈んでいく。


「お疲れさまでしたー」

スタッフの子たちが、事務所を出ていく。
その後ろ姿を、しばらく見送る。

「ゆず!」

呼び止める。

「あなた、今日はちゃんと帰って寝なさい」

それだけを、笑いながら言った。
柚葉は、どうしたらいいのか分からない顔をしていた。
その顔が、ちょっとだけ愛しい。

時代についていけているのか、いけていないのか。
そもそも“ついていく”って、どういうことなのか。
結果は出ている。たぶん、ついていけているのだろう。
でも、私の心のどこかが、もう古くなっているのかもしれない。

そんなことを、ぽつりぽつりと考えながら、鞄を肩にかける。

いつもなら、このまま橋を渡って、商店街へ行く。
いつものお弁当を買って、帰るだけ。

でも今日は、なんだか変化が欲しくて――
ふと、違う道を選んでみた。

知らない道。
道幅も狭く、灯りも少ない。
なのに、なぜか少しだけ、ワクワクする。

楽しみなのか、不安なのか、それすら分からないまま歩く。

……残念ながら、反対側にはお弁当屋さんはなかった。
夜、何を食べよう。
それを考えながら歩いていたら、ふと目についた。

引き戸の和菓子屋さん。
ビルの陰に隠れるようにして、まだそこにあった。

小さな暖簾をくぐる。
店内はひっそりとしていて、
大福、羊羹、みたらし団子、花の形をした御茶請け。
整然と並べられたお菓子が、ガラスの向こうに静かに光っていた。

奥から、女将さんらしき人が出てくる。
とても静かだった。

「このお店……ずっとここに?」

「ええ」

それだけの会話。
でも、不思議と、心に残った。

「お仕事の帰りですか」と言って、湯気の立つ緑茶を入れてくれた。
深い緑の、濃いお茶だった。

一口飲んで、素直に口から出た。

「……美味しい」

その言葉を聞いて、女将さんが微笑んだ。

みたらし団子と、季節の花をかたどった御茶請けを包んでもらう。
包み紙に手を添えながら、「今日はこれでいいか」と思った。

今夜のご飯は、お団子。

たまには、変わったことをしてみたくなる。

帰り道、知らない通りを抜けていたら、いつの間にか見覚えのある道に出た。
どうやら、近道だったみたい。

「うちに、お茶っ葉、あったかなぁ」

誰に聞くでもなく、ぽつりとつぶやく。

その声は、思ったよりも柔らかくて、
自分の中に残っていたざらつきが、ほんの少しだけ、ほどけていった。

袋のなかで、みたらし団子が揺れる。
軽いはずなのに、手のひらに、しっかりと重さが残っていた。

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