【麻衣編】第十話「別世界」という言葉

《優しい言葉が、心の温度を奪っていくことってありますよね》


今日は、再取材の日。

話す内容はもうほとんど決まってるし、原稿もメールで途中まで見せてもらっている。
イメージ通りだった。
私の言葉が、ちゃんと文字になっていて、少し、うれしかった、うん。

緊張はしていない。
だから今日は、きっと大丈夫。

スタッフの子も、いつも通りそばにいてくれる。
前回の取材では、わざと席を外してもらったけど、
自分の取材ってだけでそうするのも、なんだか不自然な気がして。
今日は普通にいてもらうことにした。

…お出迎えは、任せた。

どんな人なのか、彼女にも見てほしいって思った。
なぜ“見てほしい”って思ったのか――
自分でも、なんとなくわかっている気がする。
でも、そこには触れない。
触れてしまったら、戻れなくなるような気がするから。

スタッフの子がパーテーションの影から、明るく声をかけた。

「こんにちは!」

中原さんは少しびっくりしてたみたい。
それがなんだか、おかしかった。

あぁ…取材って、ちょっと楽しい。
私の話を、ちゃんと聞いてくれる人がいる。
誰かに“話す”ことが、こんなに落ち着くなんて。

この前よりも、ほんの少しだけ長く目が合った。
聞いてくれているから、そう思うと、つい話したくなってしまう。

わかってくれるかもしれない…
そんな思いが、ふっと浮かんだ。

…でも、何をわかってほしいんだろう、私は。

話がひと段落ついた頃、スタッフの子が入ってきて、お茶を替えてくれた。
この子、ほんとにタイミングがいい。

でも……

「社長のことどう思います? かっこいいですよね。できる女って感じで、私の憧れなんです」

…え?
なに言い出すの、、

ちょっと焦った。
こんなとき、どう返すのが正解かわからない。
笑って流せばいいのか、照れて見せればいいのか。

戸惑っているうちに、中原さんが口を開いた。

「あぁ、ほんと素敵な方ですよね。キラキラしてて…僕とは別世界の人かなぁ、あはは」

“別世界”……

その言葉だけが、心の中で、重く広がっていった。
少しずつ、冷えていく。

さみしいような、
なにかが、遠くへ行ってしまうような……

少しだけ、雑談をした。
でも、みんなの笑い声が、なんだか遠くに聞こえた。

中原さんは、たぶん私のことを本気で褒めてくれたのだと思う。
“キラキラしてる”って。
あれは、社交辞令じゃなかったと思う。

でも、私の中に残ったのは、“別世界”というたった一言だった。

丁寧にお見送りをして、自分の席に戻る。
あの子が気を利かせて、静かにしてくれていた。

「社長? 疲れました?」

「ううん、大丈夫」

スタッフの子が、静かに席に戻ったあと――

ふと、窓の外に目をやった。

空は、薄くにごったような曇り空だった。

…頭の中では、あの言葉が、ずっと繰り返されていた。

別世界。

…それは、距離を感じる言葉だ。

彼が言った“別世界”は、悪気なんてなかった。
それはわかってる。
むしろ、照れ隠しみたいな優しさだったのかもしれない。

でも、
そう言われた瞬間、
私は一歩、彼から遠くに押し出されたような気がした。

自分が“そう見えている”ことが、なぜなんだろう、すごく寂しく感じる…
それは、自分で選んできたはずの姿だったのに

いつも通り、資料に目を通す。
でも、ページは同じまま。
…文字を眺めているだけだった。

…別世界、か。


※このエピソードは、徹と麻衣、それぞれの「再取材の日」の夜を描いています。
ふたりが別々の場所で過ごした、あるひとつの“夜”の記録です。

麻衣|再取材の夜

楽しかった取材。
今日も上手くできたはず。

今日はね、椅子は90度にしなかったの。
いい印象とか、90度とか、そういうことじゃない気がした。

人として、向き合ってみたかったのかな。
そして、私を知ってほしかったのかも。

知ってほしかったのは――
自立していて、そんなにすごくはないけど、ちゃんと仕事はできている、
……そんな私。

……なのかな。
分からなくなってきた。

ねぇ、私って――
仕事とか、自立とか、それ取ったら、何が残るんだろう?

相棒の猫のぬいぐるみを、目の高さまで持ち上げる。
聞いても、何も答えてはくれない。
そうよね。ふわふわしてても、ぬいぐるみだもの。

……でも、今日は少し、温かい気がした。

「わかってるくせに」
そんな声が聞こえた気がした。

中原さん、今日も話、聞いてくれてたなぁ。
予習してきてくれたのかな?
話も、ちゃんとまとめてくれた。
嬉しかった。

仕事、できる人なのかもしれない。

「頼りなさそう」なんて思って、ごめんなさい。
本人には、言えないけどね(笑)

スタッフの子も、ほんと助かるの。いい子なのよ?
でもね、たまに、明るさが弾けるの。
そして……あれよ。

猫ちゃん、中原さんね、私のこと「別世界」なんだって。

ぬいぐるみを抱きしめる。

別世界、かぁ。
でも今日は、一緒に少し笑ったじゃない。

立ち上がって、冷蔵庫へ。
飲み物をとって、扉を「パタッ」と閉める。

薄明かりの中、その音だけが、やけに響いた。


徹|再取材の夜

まだ夜は、気温が下がると、肌寒い。

ひとり飯が寂しいとか、寂しくないとか、
そんな感覚も、もう忘れた。

この歳になると、
「今日も無事に食べられた」ってことに、ありがたみすら覚える。

軽くレンジで温めた焼き鳥。
ひとりで食べるには、ちょっと多いか。

手を合わせて、いただきます。

今日の焼き鳥は、美味い。
美味いけど、なんか、味気ない。

昼間のことを思い出してしまう。
……いや、思い出すんじゃないな。ずっと考えてる。

寂しそうだった。

キラキラしていて、でも、寂しく感じる。
キラキラ……寂しさ……キラキラ……寂しさ。

今は時期じゃないけど、クリスマスのイルミネーション。
ある時から、青や白になったよな。
青色LEDが発明されたから、とかで。

冷たい空気の中、キラキラしてて、寂しくて。
……そんな冬を、思い出していた。

気がついたら、焼き鳥もすっかり冷めていた。
静かな部屋も、今日は少し、居心地が悪い。

ラジオでもつけようか。

目覚ましアラーム付きの、なんかかっこよくて買ったやつ。
銀色で、デジタルの赤い文字。

もうアラームは壊れてるけど、捨てられない。
スピーカーもひとつだけの、しょぼい音。

なんとなく、ザワザワした落ち着かない気持ちを紛らわせるように、
机の上を片付ける。

ふと、聞こえてきたのは――
小沢健二の『ラブリー』。

なっつかしいなぁ。

手を止める。

30位だったかな? 流行ったの。
もう少し前か? 後だったか?
渋谷系ってあったなぁ。

僕はその波に飲まれる、ちょっと上の世代になるのかな。
なんか都会っぽくて、オシャレで。
でも、僕はその空気に乗れなかった一人。

なれない営業、居場所がなくて、恋人も去っていった。

恋人が、ピチカート・ファイヴ好きだったのは、覚えてる。
元気かなぁ。

僕はあの時代に、何を置き忘れてきたんだろう。
……なんだろなぁ、今日は頭の中がぐちゃぐちゃする。

いつもなら寝てしまうんだけど、今日はそんな気分にもなれない。

ずっと、意味のない考え事をしているうちに――
僕は、いつの間にか、眠っていたみたいだ。

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