
《ひと仕事終えた帰り道、
いつもと違う道を選んでみた。
静かな和菓子屋で出会ったのは、懐かしさと、確かな重み。
「届く」ということの意味を、少しだけ考えた夜でした。》
時代なのかしらね。
紙よりも、ネット。
タブレットを見ながら、ため息をひとつ。
画面が、少し冷たく感じる。
紙は、全部を一度に見せることができる。
レイアウトも、余白も、質感も含めて。
今の自分のデザインは、“ぶつ切り”で見られる。
悪いことじゃない。
でも、どこか寂しい。
今回引き受けた仕事も、結果は出ている。
柚葉は「バズりました!」って大喜びしていた。
他のスタッフも、数値を見て笑顔になっていた。
そうよね、柚は頑張ってた。
一度帰ったあと、夜にまたオフィスへ戻って作業してたの。
私は知ってる。
あの子、自分が見ていなくても、やる子だ。
仕掛けたデザインがリツイートされて、数字がどんどん増えていく。
もちろん、嬉しい。
けれど、何か――
何かが、少しだけ引っかかっていた。
私もSNSは使っているし、
その便利さや、情報の速さ、影響力も、よく分かってる。
でも、ときどき、怖くなる。
投稿した瞬間から、
それはもう、私のものではなくなる。
拡がっていって、
別の意味をつけられて、
気づけば、誰かの「象徴」になっていたりする。
スマホの通知が鳴る。
またひとつ、数字が増えていた。
「こんなに伸びてるの、初めてです!」
柚葉がそう言ったときの目は、本当に輝いていた。
若さって、ああいう光なのかもしれない。
……少しだけ、眩しすぎることもあるけれど。
見られている。拡散されている。
でも、それって――ちゃんと“届いている”のかしら?
画面の向こうの誰かが、
私の意図とは違う言葉で、違う温度で、受け取っていく。
それは悪いことじゃない。
でも、置いてきぼりになるのは、いつも“私”のほう。
あのころ、紙で作ったものは、
手間も時間もかかっていた。
でも、そのぶん、手から離すときは、ちゃんと“見送る”気持ちがあった。
今は――ただ、手放されていく。
止まらない速度で。
「私は、何を作ってるんだろう」
声にならないその問いが、胸の奥に、静かに沈んでいく。
「お疲れさまでしたー」
スタッフの子たちが、事務所を出ていく。
その後ろ姿を、しばらく見送る。
「ゆず!」
呼び止める。
「あなた、今日はちゃんと帰って寝なさい」
それだけを、笑いながら言った。
柚葉は、どうしたらいいのか分からない顔をしていた。
その顔が、ちょっとだけ愛しい。
時代についていけているのか、いけていないのか。
そもそも“ついていく”って、どういうことなのか。
結果は出ている。たぶん、ついていけているのだろう。
でも、私の心のどこかが、もう古くなっているのかもしれない。
そんなことを、ぽつりぽつりと考えながら、鞄を肩にかける。
いつもなら、このまま橋を渡って、商店街へ行く。
いつものお弁当を買って、帰るだけ。
でも今日は、なんだか変化が欲しくて――
ふと、違う道を選んでみた。
知らない道。
道幅も狭く、灯りも少ない。
なのに、なぜか少しだけ、ワクワクする。
楽しみなのか、不安なのか、それすら分からないまま歩く。
……残念ながら、反対側にはお弁当屋さんはなかった。
夜、何を食べよう。
それを考えながら歩いていたら、ふと目についた。
引き戸の和菓子屋さん。
ビルの陰に隠れるようにして、まだそこにあった。
小さな暖簾をくぐる。
店内はひっそりとしていて、
大福、羊羹、みたらし団子、花の形をした御茶請け。
整然と並べられたお菓子が、ガラスの向こうに静かに光っていた。
奥から、女将さんらしき人が出てくる。
とても静かだった。
「このお店……ずっとここに?」
「ええ」
それだけの会話。
でも、不思議と、心に残った。
「お仕事の帰りですか」と言って、湯気の立つ緑茶を入れてくれた。
深い緑の、濃いお茶だった。
一口飲んで、素直に口から出た。
「……美味しい」
その言葉を聞いて、女将さんが微笑んだ。
みたらし団子と、季節の花をかたどった御茶請けを包んでもらう。
包み紙に手を添えながら、「今日はこれでいいか」と思った。
今夜のご飯は、お団子。
たまには、変わったことをしてみたくなる。
帰り道、知らない通りを抜けていたら、いつの間にか見覚えのある道に出た。
どうやら、近道だったみたい。
「うちに、お茶っ葉、あったかなぁ」
誰に聞くでもなく、ぽつりとつぶやく。
その声は、思ったよりも柔らかくて、
自分の中に残っていたざらつきが、ほんの少しだけ、ほどけていった。
袋のなかで、みたらし団子が揺れる。
軽いはずなのに、手のひらに、しっかりと重さが残っていた。

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