【麻衣編】第八話 その名前を見た日

《朝ごはんの湯気にほっとした日。
ふいにスマホに表示された名前が、
思っていたより、自分の中に残っていた。》


朝7時。
今週は、特に忙しくない。

今朝は少しゆっくりの朝。

朝ごはんを作ったのは、いつぶりだろう。

卵焼き、お新香、お味噌汁。
白いご飯は昨夜セットしておいた。

シンプルだけど、
こんな食事は体の中から整う気がする。

白い湯気のご飯。
これだけで朝って感じがして、ほっとする。

両手を合わせて「いただきます」。
一人でも「いただきます」をちゃんと言う。

お行儀なんかじゃなくて、
自分が気持ちいいから。

 

昨日の取材も、久しぶりにゆっくり対応できた。

テーマは「地元で輝く女性」。

……そう言われて、正直、まんざらでもなかった。

自分なりに、ここまで頑張ってきたとは思う。
どこかで、誰かがそう見てくれているのかもしれない。
そう思ったら、ほんの少しだけ、胸の奥があたたかくなった。

取材のときも、たぶん、うまく話せた。
話題が商店街の取り組みに及んだとき、
「一人で全部やったわけじゃなくて、みんなの力です」
って言ったら、中原さんがうなずきながらメモを取っていた。

必要なところでは、ちゃんとフォローもできたし、
無理に盛った話をしたつもりもない。

 

中原さんのことを思い出す。

不器用そうにノートを読みながら、
一言一言、丁寧に質問をしていた。

……目は、あまり合わせてくれなかったけど。

私、怖い顔してたかしら?
なんとなくそんなことを思って、ふっと笑ってしまう。

でもまあ、誠実な人だったと思う。
一生懸命、“ちゃんとしよう”としている人。

取材されながら、なんとなくそう感じた。

 

ゆっくり支度をして、いつもの時間に事務所へ。

今朝の足取りは、いつもより少しだけ軽かった。

スタッフと雑談しながら、
溜まっていたメールをチェックしていたそのとき、
スマホが鳴った。

表示された名前を見て、ふと心が動く。

 

「あ……中原さん」

そう思った瞬間、あれ?と気づく。

名前、登録してる……?
いつの間に……。

登録した覚え……あるような、ないような。

たぶん、“仕事だから”って、
自分に言い聞かせて登録したんだと思う。

でも、そんなふうに登録してる番号、他にいくつある?

……気にしてない。
うん、たぶん……気にしてない。
……はず。

数秒、画面を見つめたまま、指が止まっていた。

深呼吸をして、ようやく電話に出た。

 

少しだけ上ずった声で、追加の取材をお願いされた。

「もっと、魅力を伝えたくて……」

 

魅力、……?
私が?

……違う違う、そういう意味じゃない。
仕事をしている“私のこと”、だよね。
うん、そう、そういうこと。

でも――

中原さんの声は、たしかに迷いがなかった。

不思議と、
ああ、この人は今ほんとにそう思ってるんだな、
って思えた。

ちょっと照れくさいのをごまかすように、
「いいですよ」と返した。

 

電話を切ったあと、スタッフの子がニヤニヤしながら言う。

「社長、デートですか?」

「そんなのじゃないわよ、ただの追加取材よ」

「え〜? ほんとですか?
 社長、いつもと顔が違った気がして……」

この子は、別に悪い子じゃない。
ちょっと人をからかうのが癖なだけ。

……でも、私も、からかわれるのは嫌いじゃない。

それだけ、人間関係ができてるっていう証明だと思ってる。

「だ・か・らー!」

怒るふりをして、大笑いする。

笑い声にまぎれて、
自分の声が少し高くなったのが、自分でもわかった。

 

体温が少し上がったのは、
たぶん――大笑いしたから。

……たぶん、それだけ。

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