【徹編】第八話 頑張ったところで、ね

《頑張れないのか、頑張り方を忘れたのか…》


今朝は、起きるのがしんどかった。
重いというより、だるさが残っていた。

布団から出るのも、本当にきつい。
たいした距離を歩いたわけでもないのに、ふくらはぎが痛い。
緊張していたせいだろう。

気を張っていた分、どっと疲れが、少し遅れて出てきた感じがする。

こんな日に限って、缶コーヒーもない。
インスタントも切れていた。

仕方なく、近所の自販機まで歩いた。
背筋を伸ばして体をほぐしながら――腰を反らせた瞬間、鋭く痛みが走る。
あぶない、もう少しでぎっくり腰だった。

……もうね、おっさんは無理しちゃだめなんですよ。

まぁ、こんなおっさんだからね。
頑張ったところで、どーなるもんでもないしねぇ。
無理しない方が、いいんだよ。いろいろと。

こんな日に限って、缶コーヒーがやけに美味かった。


午前11時。スマホが鳴った。

「…勘弁してくださいよ」

思わず、そんな言葉が口をついて出る。
画面に表示された名前は、元職場の後輩だった。
昨日、入稿したばかりの取材記事についての連絡だった。

構成の都合で、もう少し“人となり”がわかる内容を加えてほしいらしい。
言葉を選びながらも、実質「再取材を頼めるか」という話だった。

「取材のアポから自分で、ってさ…」

缶コーヒーを口に運びながら、ため息をひとつ。
昨日の取材の場面が、頭の中にじわりと戻ってくる。

「…あれだけ緊張したんだぞ」

誰に言うでもなく、小さくつぶやいた。
鞄の中を探って、ヒビの入ったスマホを取り出す。
次に、名刺入れ。昨日もらった名刺をそっと引き出す。

早川麻衣。

彼女の一瞬だけ見えたさみしそうな目が、ふと浮かんだ。

時計を見ると、もうすぐ昼。
たぶん、今ごろは昼食か、外出か、
タイミングを外せば迷惑になるかもしれない。

もう少しあとにするべきか――
そんなことを考えかけて、そんな自分に呆れる。

……こんな気持ちで、昼飯なんて食えるわけがない。

スマホを持つ手が、少しだけ汗ばんでいる。
電話をかける緊張……というよりも、
あの人に再び言葉を向けるということに、妙な戸惑いが混ざっていた。

指が、自分のものじゃないみたいにぎこちない。
つい、心の中で願ってしまう。

「出るな…出るな…」

そう思っていた瞬間、

「中原さん?」

受話器の向こうから、彼女の声が聞こえた。
思わず背筋が伸びた。咄嗟に姿勢を正した自分に、自分で少し驚く。

昨日、まともに目も合わせられなかったくせに……
なにを意識しているんだろう。

声が、少しだけ震えた。
追加の取材をお願いする言葉が、思ったより滑らかに出てこない。

「…あの、僕がミスしたわけじゃなくて、構成の都合で…」

言い訳みたいな言葉が並んでいきそうになる。
でも、それを押しとどめるように、

「もっと…ですね、魅力を伝えたくて。
はい、人として、経営者として…
もしお時間いただけるようでしたら…」

自分でも意外なほど、まっすぐな言い方だった。

麻衣さんは、驚くほどあっさりと「いいですよ」と言ってくれた。
その瞬間、身体の芯がふっと緩んだ気がした。

たぶん、どこかで構えていたんだ。
断られても仕方ない、という逃げ道を用意していた自分に気づいた。
僕はそんなやつなのか…

冴えないおじさんに、同情してくれたんだろうな……

そんな風に思いながら、ソファにぐったりと身を投げ出す。
天井を見ながら、左手に持った名刺を顔の前にかざす。

「麻衣さん、かぁ…」

名前を声に出すと、なぜか体に少しだけ力が入った。
何かが始まりそうなわけじゃない。
でも、何かが“ちゃんと続いていく”ような気がした。

とりあえず、アポが取れたことを後輩に伝えなければならない。
もう一度、スマホを持ち直して立ち上がる。

その拍子に、ソファがギシッと大きな音を立てた。

「…うるさいな」

誰にともなく、そうつぶやいて、
スマホを握りなおした。

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