
《一人でも大丈夫なはずだった》
夕方のオレンジ色に、ピンクが混ざったような空は、少しだけ寂しい感じがした。
いろいろ考えながら、帰り道を歩いた。
もちろん、クレープは美味しかった。
けれど甘さの余韻が消えたあとに残ったのは、なんとも言えない静けさだった。
商店街を通る人たちは、夕飯の準備に急ぐ人、制服姿でおしゃべりに夢中な学生、
買い物袋を両手に下げた年配のご夫婦。
人ごみに紛れると、少しだけ救われる気がする。
寂しいけれど、寂しいだけじゃない場所――そういう空間は、案外好きかもしれない。
私はね、自分では“頑張ってきた”と思ってる。
でも同時に、「もっと頑張れたんじゃないか」「もっと上手にやれたんじゃないか」って、
そういう思いもずっとある。
それが悪いことだとは思わないけれど、
そういう思いに囚われて、動けなくなるときがある。
商店街の端を抜けて、大通りを渡る。
夜風が少し冷たい。クレープを包んでいた甘い匂いが、まだ帰りたくなさそうにしていた。
小さな光がいくつも重なっているこの街の中に、
私の灯りもあるのだろうか――
そんなことを考えながら、ようやく家の前に着いた。
ガチャリ。
鍵の音が、今日は少し重たく感じた。
「ただいま」
誰もいないって分かっているのに、思わず声が出てしまう。
返事のない空気に、自分の声がすうっと吸い込まれていく。
照明をつけた部屋は、朝と同じで、何も変わっていない。
ただ、朝が夜になっただけ。
それだけのはず。
テーブルの上には、朝読んだままの雑誌と、飲みかけのルイボスティー。
冷えたカップ。
ただ冷えただけ…。
猫のぬいぐるみが、じっとこっちを見ている。
まるで「おかえり」とでも言いたげな顔で。
そんなはずないのに、私はつい微笑んでしまう。
「どうしたの?」
ぬいぐるみに問いかけるように声を出して、
自分でも少しおかしくなった。
でもその声がなければ、今夜の部屋は、少し静かすぎた。
私は今日、なぜこんな気持ちになっているんだろう。
楽しかったはず。笑っていたはず。
でも、あの一言――
「麻衣ちゃんって、仕事が恋人みたいなもんだよね」
その言葉が、妙に胸に残っている。
悪気なんてなかった。ただの冗談だった。
それでも、どこか深いところに突き刺さっている。
いや、本当は言葉そのものじゃないのかもしれない。
多分、私自身がずっと見ないようにしていたこと。
見ないようにしていたものを、見せられた。
でも、今夜はそれに触れる気力がない。
私は今日まで、止まる理由を探さなかった。
答えが見えないまま、それでも前を向いていた。
だからこそ、立ち止まったときに、こうして心が揺れるんだと思う。
少しだけベランダに出てみた。
夜の空気が肌にまとわりついて、ほんのわずかに寒い。
マンションの向こうに見える住宅街の灯りが、ぽつぽつと静かに光っている。
どの家にも、それぞれの生活があるんだろう。
誰かが笑っていて、誰かが泣いていて、
ご飯を食べている人、子どもを寝かしつけている人、仕事をしている人。
見えないけれど、確かにそこに人の気配がある。
知らない誰かの家の灯りに、不思議と連帯感を感じる。
私は、今まであまりそういうことを考えなかった。
強くなりたかったし、弱さを見せるのが怖かったから。
でも本当は、私は思っているほど強くない。
何でも一人でこなして、評価されて、結果を出すこと。
それが自分の価値なんだって、どこかで思い込んでいた。
部屋に戻って、棚の端に置いてある雑誌を手に取る。
学生の頃によく読んでいたもの。
「自立した女性特集」と大きく書かれた表紙。
今見れば少し時代遅れのレイアウトだけど、
当時の私はこれに憧れていた。
何かで結果を出すこと。
好きな仕事をすること。
誰かに頼らず、自分の力で生きていくこと。
でも最近、思うようになった。
「うまくいったことを、誰かと一緒に喜べたら、もっとよかったのかもしれない」って。
成功とか失敗とかじゃなくて、
ただ「見ててくれる誰か」がいたら――
そんなことを考える自分がいる。
そしてそのことを、誰にも言えずにいる私もいる。
「寂しくないよ」って言ったら、きっと嘘になる。
でも、それをそのままにしておくのも、今は必要なのかもしれない。
私は今、少しだけ休みたい。
そして、明日は笑おう。
少しぎこちなくても、“自立した私”を見せてこよう。
それが今の、私にできる精一杯。
猫ちゃんのぬいぐるみを、もう一度ぎゅっと抱きしめる。
柔らかくて、温かいわけじゃないけれど、そこにいてくれる。
猫ちゃんは、やっぱり無口だった。

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