【徹編】第五話 取材という名の怖さ

《ちゃんとしたいと思うたびに、
僕は“準備のための準備”に手を伸ばしてしまう。》


「取材か……」

ため息まじりにそんな言葉が出る。
取材そのものはそんなに大変じゃないと思う。
たまに、結構大変って思うときもある。
取材って、そんなもの。

別に、何か特別なスキルが必要なわけじゃない。
相手の話をちゃんと聞いて、必要な情報をまとめるだけ。
相手の表情から次の質問を探すこともある。
僕はだめなりにずっとその仕事をしてきたし、それで食べてもいた。

なんでこんなに腰が重いんだろう。

今日は朝から、体がだるい。
だるいのは、もしかしたら、心かもしれない。

天気は悪くない。
空は少し霞んでいた。
春の空気は、何もなければ心地いい。
けれども今日は、それも心地よさがあまりない。
どちらかと言えば、冬の冷たい空気に自分を晒している方が楽な気がする。

起き上がってからも、コーヒーは入れずに、結局缶コーヒー。
窓から空を見た。
見たというよりは、ただ上を向いていただけなのかもしれない。
何か考えているようで、何も考えていない。
心のどこかに何かがあるのかもしれないし、ないのかもしれない。
こんなときは、本当に自分がわからない。

何を聞こう。
そう思って、ノートを開いた。
じっくり考えたいから、万年筆を取り出す。
途中でインクが切れると思考が途絶える。
だから、わざわざインクを入れ直した。
もしかしたらこの動作さえも、自分の考えをまとめることの先延ばしなのかもしれない。

過去にやった特集記事の切り抜きを何度も見返した。
インタビューの入り方、話の流れ、結びの言葉――。

参考になる。
参考になるけれど、つまらない。

何かがつまらない……。
そこには決まった方程式のようなものがあって、当てはめていけばそれなりのものができる。
それは言葉を扱う僕にとって、いいのか悪いのか、いつも分からなくなるところだ。
ただ、それが雑誌として世に出ているんだから、たぶん正解なんだろう。
正解のない中の正解。
僕は、なんかそれが嫌だ。

僕が書きたいことは、一体何なんだろう。
それは分からないけれど、方程式では出てこない言葉だっていうことぐらいはわかる。

何かが欲しい。
一歩、突っ込んだ言葉。
相手の奥に触れるような問い。
その言葉を僕が使っていいのか、それもわからない。

そもそも、そういう記事を、いまこの雑誌が求めているのか。
結局、それが原稿になってみないとわからないことが、もどかしい。

取材対象の資料を読んだ。
なるほど、出来る人だ。
すごいなあって思った。
そして雑誌を読んで、どの部分が使えるかを考えてみたり。
でも、それもなんか違う気がする。

ふと外を見ると、少し雨が降りそうだ。
少し窓を開けると、湿り気を帯びた土の匂いがした。

僕は何をやっているんだろう。
自分でも、準備をしているのか、何をしているのか。
たぶんそれは、僕にまだ軸がないからだろう。
自分の軸。相手の前に座って、それでもぶれない自分の軸。
それを僕が持っていて、いいのかどうか。

今までは名刺に肩書きが入っていた。
それが自分の鎧のような役割をして、軸の代わりになっていたのかもしれない。

街の印刷屋で名刺を作った。
「中原徹/フリーライター」
渡された出来立ての名刺を見て、思わず笑ってしまった。

軽い。なんて軽い肩書きなんだろう。
大きくため息をついた。
「まいったな……」

この名前で、また人と向き合っていくのか。
名刺を配るのなんて、久しぶりだ。
これからは、肩書じゃなくて、これしか僕にはない。
この小さな紙の「フリーライター」という文字。これで生きていく。

そう思ったとき、喉の奥に、ぎゅっと力が入った。
「覚悟なんて、そんな簡単に決まるもんじゃない」
そう、心の中でつぶやく。

でも、準備はしておこう。
せめて形だけでも整えておけば、当日焦ることはない。

ノートに質問案を書き込んでいく。
聞きたいこと、掘り下げたいこと……。
僕の言葉は、届くのかな。

一通り書き終えたころ、ペンを置いた。
自然と呼吸が深くなった。
真剣に書いていたからなのか、息を止めていたみたいだ。

これなら、小学生でも取材ぐらいはできるだろう。
これで何も聞き出せないようだったら、僕が僕自身を疑う。

でも、どうしてだろう。
気持ちが重い。

自分にできるのか、なんて問いはもう要らない。
この程度の仕事はできる。
自信があるとは言わない。
自信がないとも言わない。
その程度の自分でも、これはたぶんできる範囲の仕事。

なのに――気が重い。

これはきっと、怖いんだ。
何が怖いのか。
これを機に社会とつながってやっていけるのか。
それとも、自分の能力のなさに呆れるのか。
答えは見つからない。

ただ、なにかに“応えよう”とするとき、僕はいつもこうなる。
うまくやりたい。ちゃんとしたい。
でも、うまくできなかったときの自分が、怖い。
そういう不器用な気持ちが、ぐるぐると体の奥に絡みついてくる。
こんな年になっても、それがまだよく分からない。

だけど、それでも――
僕は、いいものが書きたい。
ちゃんと、その人を知って、書きたいと思っている。
たとえ、それがうまく言葉にならなかったとしても。
それでも、向き合いたいと思っている。

頭の中を、同じ考えが何度もぐるぐるしているうちに、気づけばもう夕方だった。

今日は、いつものカフェに行かない。
行けば、いつもの自分になれるだろう。
でも今日は、それをしちゃいけない気がした。


🕊️ このエピソードと静かに呼応する、もうひとつの物語。
👉 【麻衣編】第五話 「刺さったままの言葉」

※取材前夜、それぞれが抱えていた“言葉にならない気持ち”を描いています。

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